日本で “人それぞれみんな違う” という指摘に対して違和感がある理由

皆さんこんにちは。どうも。

今回は、「日本で “人それぞれみんな違う” という指摘に対して違和感がある理由」ということをお話ししていきます。

まず、絶対的に正しいのは、人はそれぞれみんな違う・・ということです。

これは世界中どこの国でもそうですよね。

こんな当たり前のこと・・と思われるかもしれませんが、「日本の全体主義」と「アメリカの個人主義」というのを対比する上で強調したいです。

で、よく言われるのは、日本は全体主義で、アメリカは個人主義である・・と。

後、アメリカ人はアイデンティティを大切にするとも言われています。


これはアメリカが個人主義であることと関係があると思いますが、
アイデンティティとは「自分とは何か?自分の個性とは何か?」というもので、
更にそれが人や社会から認められて、確立されます。

つまり、あの人はああいう人だ・・と、人や社会から認識され、
それと同時に自分自身もそういう人だ・・と自己認識している状態です。

これはパーソナリティであっても、立場であっても同じだと思います。

つまり、人それぞれみんな違うということを社会が認めている状態です。

後、アメリカが個人主義なのは、多分色んな人種がいるから・・ということも理由の1つだと思います。

アメリカには色んな人種や民族がおり、誰々のルーツはどこどこだ・・とか、よくそういう話題になったりしますよね。

なので、個々人が「自分とはこういう民族だ・・」みたいなアイデンティティを意識するようになるんだと思います。

なので、アメリカは、個性やアイデンティティの社会なんだと思います。

これに対して、日本が全体主義と言われる理由は、

社会一般の常識(社会通念)とか、同調圧力と言った、社会からの圧の強さ・・が結構強いことと、恥社会で、人からどう思われるのか?(人目)とか、人と違うことは恥ずかしいとか、失敗すると恥ずかしいとか・・

こういうことを(親や)学校教育で教え込まれているからだと思います。

つまり、個性はダメで、人と合わせることを是としています。

先祖代々、今の今までそういう考えを親や学校教育により、継承してきたので、
それが社会全体のマジョリティ・・というか、社会全体の美徳というか、正しい考え方になってしまったんだと思います(いいか悪いかは別として・・)。

後、失敗を恐れさせる教育のせいで、多くの日本人は(恐らく)失敗を極端に恐れている気もします。

もちろん、失敗が1ミリも怖くない・・なんて人は、世界中どこを探しても少ないと思いますが、日本人の失敗に対する恐怖心は世界的にもトップクラスだと思うんです(極度の心配性みたいな・・)。

なので、日本人はチャレンジしなかったり、リスクを冒すことを極端に嫌うんだと思うんですよね(完璧主義とも言われてますよね・・)。

なぜなら、チャレンジやリスクをすればするほど、(当たり前ですが)失敗も増える確率が上がるからです。

なので、日本人は仕事でも、(早くてリスクのある方法よりも)遅くて確実な方法を選ぶので、遅い・・

世界的にも、日本人はとにかく決定が遅い・・というのが結構有名な気がします。

ある程度のリスクを冒して、効率を重視するのか?それとも、効率は悪いけど、確実な方を選ぶのか・・

多くの日本人は後者を選ぶんですよね(日本の労働生産性が低い原因かも)

もちろん、リスクを冒さないのは、失敗が怖いという以外にも、様々な原因がある気がします。

例えば、日本の雇用形態。

日本はメンバシップ型雇用なので、効率の良い働き方をしなくてもいいんだと思います。

それよりもむしろ、みんなと協調して・・とか、仕事を通じて会社のことを知ったり、みんなと親睦を深めるとか・・

なんていうか、効率が悪いことが必ずしも「悪いこと」だとされていない気がします。

それよりもむしろ、場になじむ(調和する)とか、特にこれといったスキルの無い人に仕事を作ってあげる・・みたいな。

仕事が無くなった人を、ローテーションで他の部署に異動させるみたいな。

要は、ぶっちゃけ居ても居なくてもいい人に役割を与えてあげる・・みたいな・・そういう訳の分からんことも起きてるんですよね(私は正社員の経験もあるので分かるのですが・・)。

こういうのも労働生産性が低い原因だと思うんです。

で、ちょっと話は逸れましたが、以上のことからも分かるように、
要は日本だと周りの人と協調すること(周りとの調和)が是とされています。

なので、場の空気とか・・そういうのが大切にされるんだと思うんです(空気を読めない人がKYって言われたり・・)。

これは、めっちゃ日本的な考え方だと思いますが、実際そうだと思います。

ここで、このブログのテーマを思い出して欲しいです。

日本で “人それぞれみんな違う” という指摘に対して違和感がある理由・・

日本でも「人それぞれみんな違うんだ・・」といったことを言ってくる人もいるんですよね。

つまり、人それぞれみんな違うという事実があるのに、それを捻じ曲げて、空気とか協調とか・・

そういうのを押し付けられる他人や社会からの圧(同調圧力)は、心地いいものではない・・と強調したいんでしょう。

ただ、私的には、どうも日本人でこういうことを言う人は、なんかなあ・・と思ってしまうんです。

というのは、我々はこの歪な社会にいるので、
「人それぞれみんな違う」というめっちゃ個人主義的な主張自体が間違えなんじゃないか?という錯覚が起きているのかもしれません(社会からの間違った洗脳というか・・)。

特に、個性やパーソナリティに関してそう言われると・・違和感あるんです(アメリカっぽくて・・)。

アメリカとかだとこれは当たり前のことだと捉えられると思うんですが、

日本の社会構造だとこの主張自体が、なんていうか・・反社会的というか・・日本の社会の考え方に反している気がするんですよね・・

ということで、日本で「人それぞれみんな違うんだ・・」とかストレートに言ってくる人は、なんかパッとしないというか、もう少し考えてから発言して欲しいとも思うんです・・

もちろん、正しいことをそのまま言われても・・っていう感覚にもなりますが。

1つ確実なことは、日本の社会は非人間的で歪ですよね。

日本だと、大抵の場合は、周りに合わせられて、周りと協調できる人、空気を読める人が社会常識のある人・・だと思われますが、これは裏を返せば「個人の個性やパーソナリティ」よりも「周りとの調和」を重視しているんですよね。

つまり、「人それぞれみんな違う」という事実を捻じ曲げている感じがして・・非人間的だなと思うんですよね。

もちろん、日本の社会が悪い・・と言ってる訳ではありません(むしろ社会としては優秀だと思います)。

欧米の個人主義の社会は、人間的というよりも動物的で自然な感じがしますが、日本の全体主義は理性的すぎて、非人間的だと思うんですよね。

はい。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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