斎藤一人さんの言葉の批評(人生や欲について)

皆さんこんにちは。どうも。

今回は、斎藤一人さんの言葉の批評(人生や欲について)をしていきます。

まず、

・人生に安泰なんてものはない

という斎藤一人さんの言葉。

これは正しいと思います。

人生は私的には海の上で航行している船(ヨット)のようなものだと思うんです。

例えば、日本からアメリカまで航行するのは2週間近くかかると思うのですが、これが人生だと思うと、結構しっくりきますよね。

もちろん海上では、安泰なんてないので、向かい風が来たり、嵐に吹かれたり、荒波が来たり、船酔いしたり、岩盤にぶつかったり、船が壊れたり、(場合によっては)沈んでしまうこともあるかもしれません。

なので当然、順風満帆ではありませんよね(いい例えでしょう?)。

人生もこれと同じで順風満帆などありません。

航行し続けるためには、常に前進(何かを考えたり建設的に行動)してないといけないんです。

日本人は平和ボケで、完璧主義なので、安泰が普通だと思ってるような人が多いですが、人生は常に1寸先は闇であり、安泰が保証されていることなど無いのです。

・神がつけてくれたものに間違いは無い?

斎藤一人さんはよく、神がつけてくれたものに間違いは無いと言い、「欲」を肯定的に捉えています。

これは私的には肯定も否定もできません。

なぜなら「欲」にはメリットとデメリットがあり、デメリットも結構デカいからです。

というのは、多くの場合、この「欲」によって人は過ちを犯すのだと私は思うんです。

犯罪者も、大抵の場合は、この「欲」によって犯罪を犯します。

むしゃくしゃして人を殴っちゃうとか、刺しちゃうとか、お金を盗むとか、万引きするとか、痴漢をするとか・・

すべてはこの「欲」によって引き起こされます(攻撃欲や金銭欲、性欲など)。

なので、「欲」によって他人に迷惑を掛けたり、犯罪を犯したりするなら・・それは間違いではないか?とも思うんです。

もちろん、自己管理の問題で、「欲」をコントロールできないのはある種の病気かもしれません。

ただ、欲深かったり、欲が強すぎることの正式な病名は無いと思うんです。

また、この「欲」によって人は苦しみます。

何かが手に入らない苦しみは当然ですが、手に入る苦しみもあります。

例えば、庶民がいきなり10億円が欲しいと思い続けても手に入らないし、苦しいだけだと思います。

これはありきたりですが、手に入る苦しみもあると思うんです。

例えば、貝殻が好きすぎる(目がない)人が海岸を歩いていて、そこらじゅうが貝殻だらけだったら、1つ2つ持ち帰るだけでは満足出来ず、あれもこれも・・みたいな感じでエンドレスで貝殻を探し続けてしまうかもしれません。

それでも、海岸の貝殻を全て持ち帰ることはできないので、エンドレスで探し続けるという苦しみを味わうでしょう。

これは、貝殻好きな人だけではなく、服やバックやネックレスが好きな女性なども同じですよね。

そういう人と大型ショッピングモールに行くと、そこらじゅう服やバックやネックレスの店だらけなので、(貝殻と同じように)エンドレスな欲求の人は、ずっと居たいと思うでしょう。

でも、ショッピングモールのすべての服やバックやネックレスを買うことはできないので、いつかは帰らないといけない・・

つまり、何が言いたいのかというと、「欲」は人を苦しめます。

なので、私的にはどちらかと言えば、「無欲な人」の方が苦しみは無い気がします。

「無欲な人」というのは、何も求めないので、それだけ無難に日々を過ごせる気がします。

はい。以上、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA