皆さんこんにちは。どうも。
今回は、当たり前のことに感謝できてるか?ということについてです。
まず、私たち人間は、当たり前のことに感謝すること・・って難しいんですよね。
だって、日本人で「きれいな水道水が普通に使えて感謝してます・・」なんて毎日思って過ごしてる人はかなり少ないですよね。
お坊さんとか・・そういう人でもさすがになかなかいないと思います。
それは、日本ならみんなが当たり前に享受できているサービスなので、なかなか「良さ」がわからないんですよね。
世界レベルで見ると、きれいな水道水が普通に使えること・・って実は結構すごいことなんですけどね。
世界的に見ると、水道水をそのまま飲める国は数えるぐらいしかなく、欧米が多く、アジアだと、水道水を普通に飲んでも安全な国は、確か日本だけです。
しかも、日本の水道水は、世界的にも衛生管理がしっかりされており、基準が厳しいので、水質が高品質なんです。
アメリカも水道水を飲もうと思えば飲めるみたいですけど、州にもよるらしく、基本的にアメリカでは飲み水=ミネラルウォーターで、水道水を飲むことを想定していません。
なので、世界レベルで見ても、日本は高品質な水道水が普通に(当たり前に)使える国で、すごいんですよね。
で、かなり話は逸れてしまいましたが、ここで言いたかったのは「当たり前」に感謝できる人って少ないってことなんです。
というのは、人は身近な周りの人(他人)と比較する生き物なので、なんていうか、みんなが当たり前に享受できてるものになかなか感謝できないんですよね。
その「良さ」や「すごさ」をなかなか実感できないというか・・
例えば、自分だけめっちゃ劣悪な環境にいて、周囲の人の生活がいいな・・とか、めっちゃ劣悪な環境の国から日本に来て「おっ!水道水普通に飲めるじゃん!マジですげえ・・」って思うことはありますよね。
分かりやすい例で言うと、長年入院していた患者が退院して・・とか、長年牢獄にいた受刑者が出所して、外食して、飯が旨い・・って感動(感謝)したりしますよね。
後、今年(2024)が始まって早々、能登半島地震が起きて、何日もお風呂に入れなかったり、仮設住宅住まいを強いられたり・・そういう人たちからしたら、毎日普通にお風呂に入れて生活している人がうらやましいと思うでしょう。
そういう人たちが、普通の生活に戻った時に、「あ、なんて幸せなんだ・・」と感謝するでしょう。
つまり、人が何かに感謝する・・ってこういうことで、人はないものねだりなので、今当たり前にあること(手に入るものや状態)になかなか感謝できないんです。
隣の芝生は青く見える・・という言い方もできるかもしれません。
で、多くの日本人は、当たり前に水道水が飲めて、当たり前に旨いものが食べられて・・要は今が豊かで、何不自由ないので、今よりも良い状態になるのが難しいので、なかなか感謝できないんだと思います。
例えば、楽して大金持ち(億万長者)になりたいとか・・誰でも思うと思うんですけど、まず奇跡でも起きない限り無理ですよね。
でも、多分多くの日本人(の現代人)はそういう奇跡でも起きないとなかなか感謝できないと思うんです。
つまり、なかなか幸福になれないということです・・
人と言うのは、ないものねだりなので、足るを知る・・ということができれば不満も減るんですけどね(日常の些細なことに感謝できれば幸せは増える)。
後、我々人間は不思議と「嫌な出来事」ほど記憶に残りやすい・・という性質がありますし、人間の脳はネガティブなこと(不安や心配など)を考えるようにできているみたいです。
これは、人間の防衛本能から来る性質とも言われていますが、とどのつまり、人間はほっておくと自然とネガティブになるんです。
もちろん、現実では幸せなことも起きているでしょう。
ただ、先にも述べましたが、多くの人は多分、その幸せなことの大半が、当たり前のことなので、そこになかなか感謝は生じないんですよね。
きれいな水道水が使えて幸せ・・とか、美味しいもの食べられて幸せ・・とか、普通に(安全に)寝られて、朝普通に目が覚めて幸せ・・とか、きれいな道路を歩けて幸せ・・とか、徒歩や電車で日本全国どこにでも行けるのが幸せ・・とか、深夜でも普通に(安全に)コンビニに買い物に行けて幸せ・・とか、深夜に女性が1人で平然と(安全に)歩けるとか・・こういうことを幸せだと感じて生きている日本人は多分少ないでしょう。
ただ、世界レベルで見たら、上記のような「幸せ」は決して当たり前ではありません。
なので、今不幸だな・・とか、つまらないな・・とか、良いことないな・・とか思ったら、もう少し俯瞰して見てみると、少しは見方が違ってくるんじゃないかな・・と思うんです。
グローバルな視点で見ると、日本の当たり前は、「幸せ」なんだと思います。
はい。以上、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。