生きる意味について(解があっても楽にはならない)

皆さんこんにちは。どうも。

今回は、哲学的なテーマですが「生きる意味について」ということをお話ししていきます。

大抵は、人生苦しいな・・なんでいつもこんなんなんだろう?とか、スッキリしたいな・・とか思って生きる意味を考えるのではないかな?と思います(少なくとも私はそうです)。

じゃなきゃ、わざわざ「生きる意味」なんて考えないでしょう。

大抵は、生きることがつまらなかったり、つらかったり、苦しかったり、思い通りにならないから・・なんで生きるんだろう?って考えるんでしょう。

つまらなくてつらいから意味を考えて、そこに意義を見出そうとするんです。

かと言って、じゃあ生きる意味が分かったら楽になれるのか?と言えばそれは違いますよね。

だって、仕事をする意味・・とか分かってても楽にはなれないじゃないですか。

多くの人に仕事する意味って何?って聞くと、生活のため・・とか。家族養っていくためとか。生きていくためとか。

大抵、こんな回答でしょう。

まあ、中には地位や名誉のためとか・・そういうすごい人もいるんでしょうけど、多くの労働者は「苦しくても生活のために頑張ってる」のではないでしょうか?

なので、意味が分かってても楽にはなれないじゃないですか(楽な仕事って無いと思うので)。

なので、人生も同じで、生きる意味が分かっても楽にはなれないんですよね。

まあ、もちろんそれで胸のつっかえがスッキリ取れてスーッと楽になるのであれば、生きる意味を探求する哲学をやってればいいと思いますが・・

じゃあ、結局どうしろと言うんだ?と思われるかもしれませんが、お釈迦様も言っていた通りで、真理は1つです。

「生きることは苦しいこと」というのが真理です。

最終的にはこれを受け入れちゃうしかないと思います。

繰り返しになりますが、大抵は、生きることが苦しいから、そこに無理やり意義を見出そうとして、生きる意味を探し求めて・・要は少しでも楽になりたいわけじゃないですか。

でも、そもそも楽じゃないものを楽になんてできませんし・・

過去の後悔とかも同じで、受け入れたくないから苦しむわけなんですよね。

「あー、あの時なんでああしちゃったんだろう」とか・・後悔して悩んでる時は、過去を受け入れたくないわけじゃないですか。

というよりも、過去の失敗に執着しちゃって受け入れられないんですよね・・

別れ話とかも同じで、それを受け入れられないから苦しむんです。

これは、受け入れたくないという自分(の気持ちや自我)への執着です。

で、ストーカー事件とか起こしちゃったりして、事態は余計悪い方に行ってしまいますからね(誰も幸せにはなりません)。

なので、過去とか他人とか・・変えられないものは受け入れちゃうのが一番スマートに、丸く収まります。

後は、自分への執着が強すぎると苦しみも大きくなります。

誰か(他人)を許せないという悩みもよくありますが、これも自分への執着が強すぎるんです。

過去の後悔も同じで、納得いかない、受け入れたくない・・という自分への執着(自我)が強すぎるんだと思います。

なので、変えられないものは受け入れて、自分への執着(自我)を手放すのが苦しみを和らげる最善の方法です。

言うは易く行うは難し・・ですが。

で、人生も過去の後悔と同じで、最終的には「受け入れちゃう」しかないんですよね。

ウィリアムジェームズの名言で「現実をありのままに受け入れよ。起きたことを受け入れることが不幸な結果を克服する第一歩となる」というものがあります。

これはその通りで、「嫌だな。受け入れたくねぇな。。なんでこんな人生なんだよ。」とか「なんで俺が/私がこんな目に遭わなきゃいけねぇんだよ。」とか思ってるうちは、受け入れられずに(自我で)苦しんでるので、その苦しみから解放されるには、その(自我への)執着を手放してありのままを受け入れちゃうしかないです。

もちろん、可能な限り改善するように努力したり、戦うべきですが、常識的に考えてどうしても無理・・なら受け入れちゃうのが一番スマートですし、楽になれますからね。

これができないと、苦しみやトラブルも多くなり、苦労の多い人生になってしまいます。

はい。以上、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

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